スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

それだけの日々

先日、仕事で名古屋に2泊した。
今年は桜の開花が早かったようで、いつもならちょうど見ごろの時期だったそうだが、
宿泊先の窓から見える桜並木はいい加減に葉桜が目立ち、
アテンドしてくれた方曰く、残念でしたねぇ、とのこと。
特別、桜好きというわけでもないけれど、せっかくなので会食の後で散歩がてら夜桜見物をし、
屋台で串カツを買い、同行した秘書に「そういうの似合いますね」と写メを撮られる春宵であった。
いちおう、お願いしてぼくのスマホに写真を送ってもらい、ドロップボックスにアップロードをしておく。
妹とアカウントを共有しているので、どこかで写真を撮ったりすると双方で確認でき、
それがぼくにしたら姪の成長の確認に、妹にすればぼくの安否確認につながっている。
妹が姪の服を作っているようで、なんだかかわいらしい写真がたくさんあるのだけれど、
ぼくが撮る写真はと言えばいつも代わり映えがなく、
パリの自宅の写真はもう飽きてしまっていつも仕事の帰りに寄るお店の店主の写真であったり、
信号待ちの車の車窓からちらりと見えるエッフェル塔であったり(しかも雨粒で姿がおぼろげ)、
部屋の窓から見えるマロニエの木だったり、
雨の日に窓枠の内側で雨宿りをしていたカエルだったり、
姪から来る手紙をしまう宝箱であったり、
そんなつまらないものばかりアップしているので
妹たちももう退屈だろうとほんの少し心苦しさを感じたりもしている。

相変わらず。
何年経とうと、たとえ1000年でも
ぼんやりしていたらあっという間に過ぎるのではないかと思う。
何か思い出していることもあれば、
ただ目の前の風景を見ていることもあり、何にも焦点が合っていないこともある。
そんな人間に小洒落たものを期待する方が間違っているのだ。
仕事をしていなければぼくはただのふぬけなのだから。


さて。
もうすぐ、妹と姪が帰ってくる。
姪がピアノの教室に通っているのだ。
ぼくが先生ならつまらないバイエルなんかではなく
ドクター・フィールグッド(ピアノレッドのほう)の曲なんか教えるかもしれない。
結局、ピアノもギターも、自分で歌えないと弾けないのだから
どうせ歌う(口ずさむ)なら乗れる曲じゃないとつまらないではないか。
・・・などと思いつつ、今日はどんなことを教わったのか聞いてみよう。



                   好きな曲ほどベスト盤には入らない。

スポンサーサイト

冬の設え

街路樹の鮮やかな日々だというのに
「もう12月」という言葉が何かの流行りみたいに至る所から聞こえてきて
やっぱりこの時期は特別なんだなと思う。
ハロウィンからアドベンドにかけての季節は確かに華やかで
時に一年分の憂さ晴らしにさえ見えるのはただのひがみだろうか。

今年はほとんど日本にいられなかった。
ゴールデンウィークがすぎたら、お盆になったら、お月見の頃には、などと
気持ちの中では仕事に区切りをつけて家に帰りたいと思ってはいたけれど、気が付けばこんな時期だ。
何かの間に合わせみたいで、いっそ帰ってこなければなどと思ってみたり。


姪はもうずいぶん口が達者になった。
妹がいないときにぼくにテレビ電話をかけてくることもあり、
妹の口ぶりそっくりに、ぼくの体を気遣ってくれる。
「あんまりのむとからだにさわるから」なんて
きちんとわかっているとは思えないなぁと思っていたけれど、
それが実は案外そうでもないらしい。


姪:手紙?
ぼく:うん、紙に書くんだよ
姪:こっち(※テレビ電話)だとちゃんと見えるよ
ぼく:うん、でもね。手紙のいいところもあってね
姪:うん
ぼく:鉛筆をもってさ、相手のことを一生懸命考えるんだよ。
今ごろは何してるかなとか、もうお風呂に入ったかな、とか
姪:うん、私も考えますよ
ぼく:そうだね。でも考えたことは全部紙には書けないから、
はみ出しちゃうから、大事なことだけしか書けないでしょ?
姪:うん
ぼく:うん、だから手紙には大事なことだけがいっぱいだから、
嬉しいとか、楽しいとか、書いた人の気持ちがきちんと伝わるんだよ。
姪:うん!

その後、テレビ電話の向こうで鉛筆を持って便箋に向かう姪と何度かやり取りをし、
しばらくしてからぼく宛てのエアメールが来るようになった。
「あまりおさけをのみすぎないでね」と、毎回のように書かれてあるのは
実は妹の入れ知恵ではなかったと知ったのはずいぶん経ってからだった。
そんなわけで、ぼくの寝る前に飲むアルコールの最後の一杯は
ホウレンソウのスムージーになった。
ただ、その最後の一杯がほとんどの場合において、
その日のディナーを兼ねているということは妹には話していない。
きっと妹の気に障ってしまうであろうから。









Holy and Bright

でもやっぱりさぁ、と事務員さんが言う。
何の変哲もないいつもの午後の事だった。

「居ると居ないじゃ大違いよね」

ぼくは気づかなかったけれど、周りが「そりゃそうだ」とガヤガヤしだしたので気づいたのだった。

ぼく:何の話?
事務員さん1:常務の話ですよ
事務員さん2:メールとかテレビ電話があるっていたって、ねぇ?
事務員さん3:ほんと。やっぱりそこにいてくれないと
ぼく:えー。みんなにお小遣いあげましょうか
一同:あははは


自分がそこにいないことで「寂しい」と言われるのは
記憶にある限りでは2回目だ。
最初は恋人の病床で、初めに入院してしばらく顔を合わすことができずに、
4日後に面会に行った日。満月の日だった。
まだ顔色も良かった恋人は、グレーのカーデガンを羽織っていて
面会室でぼくの腕を組んで「寂しかったわ」と耳元で囁いた。
ぼくは寒くないかと聞いた。
恋人はぼくの肩にもたれたまま
「すまない」とぼくも囁くように返事をした。


事務員さん3:パリのクリスマスってどんななんでしょうね
ぼく:あんまり変わらないですよ。シャンゼリゼに電球がたくさんついて、
この時期しか立たない市場みたいなのができてちょっとにぎやかになるくらいで。
事務員さん1:行ってみたいねぇ
事務員さん2:うちの旦那は大学の卒業旅行でパリ行ったんだって
事務員さんたち:へぇ!そういえばうちの旦那は・・・・


・・・と、いつもの調子が続いた。
そんな様子もぼくにはなんだか心地が良かった。


家に帰るとお隣のおばさんと長女さんが来ていて、
ぼくが買ってきたお土産のお礼をと、きなこ餅を持ってきてくれていた。
姪が給仕のように、湯呑をそーっと茶たくに乗せていた。

おばさん:がっちゃんも髪なんか染めちゃって
長女さん:うん、なんか別の人みたい
妹:これ、地毛なのよ。赤いと人にやいのやいの言われるから黒くしてるの。
おばさん&長女さん:えー!
姪:お茶が、入り、ましたよ(←そーっとお茶をみんなの前に出す)

フランスにいると周りが黒髪ばかりではないので気が楽だったりする。
初めのころは月に一度は染めに行ったりしたけれど
美容院の人いわく、ぼくの髪はきれいなイチジクのような色になるから
黒くしてはもったいない、持って生まれたものなのだから
両親も悲しむだろう、と。
それからは染めに行くことは無くなった。
イチジクかどうか知らないけれど、やはり髪は赤くなって、
でもそれをどうこう言われることはなく、そのうちにぼくもそんなことは気にならなくなった。
帰国してしばらくは、うちの事務員さんたちは
「また色気づいてきたよ、この子ってば」とさんざんにからかわれたけれど、
上記のいきさつを話してからはそんなこともぱったりとなくなってしまった。
ただ役目がら、取引先の人と会うことも多いので
はやりそのうちまた黒くしないといけないだろうとは思う。

12月の、クリスマスの空の下。
ただなんでもない日々も、それはきっと
亡くなった恋人と初めて会った日のように、
それが愛だと気付いた日のように、あるいはまた
ぼくに背を向けてベッドの中で泣いていたあの日のように、
名づけるとすれば、これもまた「幸せな日々」なのだろうと思う。
そんな夢見心地さえ、
地球上がただ一つの愛で満たされていくような、こんな季節にはふさわしいような気がしなくもない。













里帰り

生活の拠点をパリに移してもうすぐ10か月になる。
早いなぁ、と思う。
季節の移ろいに気づくことに常に後悔がつきまとうこんな性格では
きっと地球上のどこにいても、どんな仕事をしていても、
あるいは仕事をしていなくたってきっと
ため息をついて時を惜しむくらいしかできないのだろう。
なんだろうなと思うけれど、致し方なし。


パリでは16区という地域で、一人で暮らすには少し広すぎる部屋に住んでいる。
妹や姪が遊びに来ることを想定していたけれど、
夏の終わりごろだったか、妹が「こっちに住もうかなあ」と言い出した時は
ほんの少しだけ、うれしくなったことを覚えている。
ミラボー橋を渡り、ブローニュの森にほど近いところで
少し歩けば凱旋門やエッフェル塔も近い。
観光地とはいえ夕方になればそれ相応に街は落ち着きを取り戻すし
買い物の帰りにセーヌ河岸をぶらぶらと歩いてくるにはちょうど良い距離にマーケットもある。
近くまで行くのにも車で行ってしまうようなぼくはといえば
そんな風景にもとうに飽きてしまっていた。
夏とはいえ、日陰にいれば暑さは気にならず、
家の中では七分袖のカットソーを着ていたくらいだった。
妹は通りで買ったレモネードを飲んでいた。
姪は妹のカメラであちらこちらを激写していた。
そのうちの一枚、ぼくの写真が妹のブログに載ったようで、
「なにこのイケメン」とコメント欄が騒然となったらしい。
ふふふ。ぼくもまだ大丈夫なんだろうか。 ←何が?
そして姪はずいぶんと大人びた様子になった。
ぼくが住んでいるところを「いいところね」と言う。
送った写真を見た妹がそんな風に言ったのだろう。
窓から見えるマロニエの並木道が黄色く色づく少し前の事だった。


夜更けにはアルコールでぼんやりする生活は変わっていない。
周りにいる仲間の顔と、飛び交う言葉が変わったにすぎず、
酔った頭で今頃日本は何時だろう、と考えることもなくなってしまった。
一度、大学の先輩が仕事でパリに来た時に食事をして
別れ際にキスをした。
ぼくたちは恋人同士というわけではないのだろうけれど
でも先輩はうちにいる間中、ずっとぼくの首にしがみついていた。
夕暮れがだいぶ過ぎたあたりだった。
セーヌのほとりにはそんなカップルはよくいるけれども
ぼくらのそれはありふれたロマンチックなものというより
どこか沈痛な、ただ時間が癒してくれることを待つことしかできないときのような、
そんな風だった。
仕事でなにかあったのだろう。生きていればそれだけ多くの毎日があるのだ。


多くの事は、時が過ぎさえすればどうにかなる。
どうにもならない事柄は、それはきっとどうにもしたくないその人の気持ちの問題で
だからずっと、時間が止まることを願うように取り留めもなく
過ぎてしまったどうにもならなことにその身を縛り付けるような身勝手さを
あるいは別の言葉で「祈り」と言ってみたりする。


ぼくは最近、ブランデーをよく飲むようになった。
いっきにおっさん化しているような気がして、なんだか悪い気がしなくもない。
パリに居たとて、日常がとくに変わることはなく
人間はしょせんその程度だと、妙な感慨に浸ったりしている。
そしていまは久しぶりに帰ってきた日本で、こんな風にブログを綴ったりしている。








feel fine

風の強い青空は
その印象とは裏腹に寒がりなこの身にはつらいことこの上もない。
恒例行事のような、春待ちの試練のような一日。
相変わらず、何も変わらず。
それだけがぼくの取り柄ではなかろうか。
何をしていても常に別の事が頭をよぎるのは
単に節操がないだけだ。
恋人が生きていた頃、そういえばこんな春の日に
「あなたの見ている世界は何色あるの?」と聞いてきたことがあった。
ぼくはただすまない気持ちになりながら
止めた車の中で恋人の手を握ったことを思い出した。

自分の何かを切り売りするような生き方は
これは誰しもそうなのだろうか。
ただ春を待つにさえ。










days thru

スーツを新調した。
いつだったか、本屋さんでたまたま目についた雑誌の表紙に
差をつけるモテスーツとかなんとか、そんなことが書いてあり
サラリーマンにとってスーツは作業服のようなものだから
差をつけるも何もあったものではないと思うと、妙な違和感がったことを思い出した。

体の採寸をしながら老いたテーラーの言う。
「痩せましたか?」

するどい、と思った。
正確には、おそらく、締まったという方が正しいのではないかと思う。
日本とフランスを行き来する生活の中で、早起きをしてランニングをする、という楽しみができた。
「飛行機に長時間のると血流が滞って云々」と秘書にさんざん脅されたため、
手軽にできる運動はないものかと考えた挙句の事だった。
競技バスケをしていた頃から練習や合宿でほかの誰かに走り負けたことは無かったので
スタミナにはある程度の自信はあったけれども、
どうもぼくにはランニングが合っているらしい。
黙々と何も考えずに居られるところが何にもまして気分が良い。
正確に測ったことは無いけれど、毎朝ぼくは15キロくらい走っていると思う。
これが長いのかどうかよくわからないし、大体1時間くらいかかっているのが早いのかどうかもわからない。
ただ何も考えずに、何処も目的とせず。

もともと体脂肪率は低いので、「痩せた」と言っても微妙な差のはずなのだ。
どんな分野にも職業病というものがあるのだろうかなどと失礼なことを考えつつ、
大通りに面したカフェで今日は大きなマグでラテなんか飲んでみたりした。
クリスマスに対して、
24日と25日の2日間に対してだけ過剰な反応を見せる街の様子がどこか遠いことのように思いながら、
待ち合わせの時間にはだいぶ早い時間だったためどうしたら良いだろうと考えながら頬杖をついてぼんやりとする。
寒波がきているらしい。
寒さは人も暦も足早にさせ、誰もが惜しむこの2日間の名残を余計に助長する。
待ち合わせにはまだ時間があったのだ。
でもぼくはのろまだから
たぶんこんな風にしてると人の倍は時間が経っちまうだろうなんて考えながらぼんやりと人を待ってみたりした。










sunday

休日の前の夜は眠剤は飲まないと決めている。
それはクリーンな体に憧れるが故の涙ぐましい努力や抵抗ではなく、
単に深酒をしたいがため。
昨夜はジャックダニエルを1本空けてそれでもまだ飲み足りないような気さえして、
多少酔いの回ったこの頭でも
ぼくの体は確実にどこかおかしいとわかる。

今日は早起きしたはずなのに、気づけばもうこんな時間だ。
あんなに明るかった一日が
窓の向こうの遠い街並みに秋の陽射しが奇麗だった一日が
もう明日の準備をしている。
季節の移ろいを感じることは何かを後悔することと似て
振り返って初めて気づくことが多い。
2週間後はもう12月になり、
ぼくの予定にも忘年会の文字が出始めているというのに、
一番好きなこの秋にたぶんぼくは何も残せないように思う。
忘れているわけではないけれど、
でも忘れかけることはある。
大切な宝物のことを、
愛された日々のことを。


会社の健康診断の結果はやはり芳しくはないようで、
血圧の低さが尋常ではないらしい。
そのためアルコールを控えなければならないのだけれども、
ぼくは仕事をするかお酒を飲むかしかできないのに
そのどちらかを控えろと言われたからといって
「はいそうですか」と引き下がれるものか。
ぼくにはそれしかないのだ。
取り柄のない人間というのはいろんなところで苦労をする。
これからもそんな状況になるんだろうか。
なんだか今から気が重い。













ねことグラスと

まだあまり色づいていない街路樹の中に
たまに真っ赤に色づいている樹が混ざっているのはどういう訳だろう。
うちの庭の銀杏もところどころ黄色くなっているけれどまだ緑が多いし、
楓の葉も微妙にオレンジ色になってきている程度なのに。
気の早いのがいるのは生物に平等な性質なのだろうか。
そんなことを考えながら車のハンドルを握る。
隣に乗る姪がスピーカーから流れる音楽に合わせて鼻歌を歌う。
休日の午後はどの道路も混雑していて
景色をぼんやり見ているにはちょうど良い。

「お買いもの、行く?」

姪がたずねた。

「うん、ママも一緒にね」

妹は休日にも打ち合わせが入るような、そんな仕事をしている。
夕方近くに迎えに行くのがぼくの日課になっている。


忙しかったこの数週間、
ぼくはまともに家で食事をとらなかった。
時間が不規則だったので日に1度、外で何かを食べる生活だった。
それでも毎日アルコールは欠かさなかった。
ネクタイを外して家で仕事をしているときに
ウイスキーグラスを下げに来た妹が腕まくりをしているぼくをみて言った。

「あんまり食べないと、せっかくの筋肉もなくなっちゃうよ」

ぼくはワントウコツキンというのが発達しているらしい。
それがどの部分なのかぼくにはいまだにわからない。

「なに。死にやしねぇさ」

A3の書類を壁のあちこに貼り付け
付箋に書き込みをしたりピンを刺したりしながら朝を迎える日々だった。
人は誰でも誰かを守り、守られながら生きるはず。
妹と姪を守る意識は失くすことはないけれど
自分が守られていることならしょっちゅう忘れてしまう。
それを傲慢と呼ばずに何と呼ぼう。
葉を散らす越冬の準備を少しずつしている庭の木々に秋の朝日が当たる。
書斎の窓は西を向いている。


待ち合わせの場所で妹を拾う。
姪が伸び上って妹を見ている。
妹が車に乗るといつも「ごめんね」という。
姪はぼくの口調を真似して「なんの」という。
ぼくは一度も手間だとは思ったこともないけれど、
やっぱり「なんの」と答えてしまう。
帰りにスーパーに寄り、広い売り場をうろうろして、
今晩はシチューにすることにして野菜を買ったりお肉屋さんで量り売りをしてもらったり、
お茶屋さんでお茶の葉を買ったり、
花屋さんでいくつか花を買ったりして家に戻って来た。
ぼくは相変わらずソファーの左端で本を広げる。
姪は床のラグの上で絵本を広げており、
その周りでねこが横になったり姪と一緒に絵本を見たりしている。
キッチンからいい匂いがしてきたり、
考え事はいつか無くした夢のことだったり死んだ人間の事だったり、
フライング気味にあけたシャンパンでぼんやりとしてみる。
自分の気持ちなんかはどうにでもなれば良い。
そんなことを思う、やはり相変わらずの日曜の有様だった。












宵待ち

午後、車にガソリンを入れに行ったついでにコーヒー豆を買いにいつものお店に寄った。
雲も多かったけれど日差しもあり、
街路樹の赤い色が白っぽい街並みによく映えていた。
テーブルに大きめのマグに入ったコーヒーと、
豆の入った小さな麻袋が並ぶ。

マスター:最近全然来ないから転勤にでもなったのかと
ぼく:似てる。ニューヨークと日本を行ったり来たりしてて
マスター:前から思ってたけどもしかして大企業の重役さん?
ぼく:それほどでも
マスター:うん、若すぎるもんねぇ


マスターとはもう10年以上の付き合いだけれども
あまりお互いのことを話したことがない。
ぼくがどこに勤めていてどこでどんな暮らしをしているのか、
そういうことは一度も話したこともなければ聞かれたこともない。
会話は容易に詮索に結びつく。
控えめなマスターの振る舞いが何よりも心地よいからこそ
ぼくはもう10年以上もそのお店に通っているのかもしれなかった。

秋が深まる。
コーヒーの温かさが掌に広がる。
頬杖をついて目を閉じて
カウンターの奥でカップを洗う音が聞こえる。
お客が多くてにぎやかな店内にどこか居心地の悪さを感じてしまう。
大勢の他人の空気感。
これがなにより苦手だけれど
でもスーパーで買い物をする時だけは別なのは
そこ(スーパー)がぼくにとって長い間幸せの象徴であったからに他ならない。
夜でも煌々とした照明、家族連れの笑顔、子供の声。
何一つぼくには縁のないものだったけれど
でもそんなものに少しでも近づける気になれる唯一の場所だった。

まぁそんなことはともかく。
11月の秋空の下だった。
カウンター席のそばに座っていたカップルは車を買う、買わないの話をしていた。
コーヒーのおかわりを持ってきてくれたマスターが言う。

「いつもとオーラが違う。大物の雰囲気になった」

あいまいな笑顔でいるしか返事のしようがなかった。
カップルがこちらを向いた。

マスター:うん、色気が出てきた
ぼく:車のせいじゃない?

ぼくはキーのエンブレムをマスターに見せた。
マスターはお皿をふきながら
BMWに乗ってる下品なやつはたくさん知ってる、と言った。
カップルがぼくらのやり取りに聞き耳を立てていた。

陽が沈んだらぼくも品がなくなると思う、と答えて会計を済ます。
またのお越しを、とマスターが言った。
ぼくはうなづいて店を出た。
海に近いお店の前の道路は
もう自動車のテールランプが鮮やかになる時間で、
一瞬強い風が吹いて何気なく目を閉じてしまう。
お店を出る間際、うなづいたぼくは確かに愛想笑いの笑みを浮かべていたと思う。
それが成長だと言うのなら、
マスターの観察力もまんざらではないのかもしれない。
いずれにしても
なんでもない秋の日曜だった。













最近のこと

嵐のようだったと思う。
この数週間で起きたことを客観的に眺めてみれば、
そしてそれがうちの会社の誰かがやってのけたものであったとしたら
「よく対処できたな、おい」と、
たぶんぼくも声をかけるだろうと思うけれども、
いざその当事者となってみれば
やるべきことを普通にやったまで、と
別に大したことでもないと思うのは謙虚だからではなく、
事の重大さと危機の重なり合いについて
きちんと認識できていなかったらからではないかと思ったりもしている。

つまりは、そういうことがこの2か月間であった。
そして危機は去り、ぼくは相変わらず仕事以外にできることもなく、
何物にも何の期待も興味も持てないまま
心のどこかではただ死に場所を探しているようなそんな日々が主観としてはあっという間と思える速度で、
でも周りの人にはぼくがそのうちバッタリと倒れるのではないかと
多少ハラハラしながらじりじりするような時間だったらしいけれども、
まぁそんなようなことが夏の終わりと秋たけなわなる今頃まで続いていた。

仕事には際限がない。
一つ終わればまた一つが始まり、
正確には別のものが目について区切りをつけることに億劫になり、
そのうち途中だけが永遠に続いていくような、
何をしても満足感を得ることのない不感症に飲み込まれていくだけなのだ。
男とはそういうものだと思うというとうちの事務員さんたちは
「かわいい顔して言うことは古い」と一笑に付す。
「適当に息抜きしてくれないと見てる方の息が詰まる」と言うので、
ぼくはそのくらい切羽つまった感じだったのかと反省すると
秘書が言うには「水を得た魚みたいでした」と言う。
結局、ちょっと大変だったけどもいつも通りだったということなんだろう。

季節の移ろいにすら気づかなかった。
せっかく四季のある国に住んでいるのに、
ぼくの心はどんどん狭く小さくつまらなくなっている。









especially

妹がまめに花を飾っている。
玄関、廊下、洗面所にトイレやダイニング、リビング、客間や書斎や寝室や空いている部屋等々、
庭に咲いたすずらんやその他ぼくには名前も知らない花を一輪挿しにすることもあれば
近所の花屋さんで買うことも多いらしい。
ぼくが買うのはもっぱらピアノの上に置く用で
毎週金曜に会社の近くで買って帰ることにしており、
事情を知っている花屋さんがあまり大げさすぎない花束を準備していてくれる。

「最初は絶対、プレゼント用だと思いました」

花屋さんはいつもそんな話をする。
まめな男だと思われていたようだ。
ただピアノの上にビール瓶とねこだけというのも
それはそれでなんだか殺風景なので花でも飾ってみよう、というだけなのだけれども。

先日、うちの会社の受付に花を納品に来ていたのがその花屋さんだった。
目が合うと「あら!」と声をかけてくれ、
ぼくの方も「あぁ!」なんて挨拶をしていたところにうちの事務員さんも出くわす。


事務員さん1:この人(※ぼくのこと)毎週買ってるんですか?
花屋さん:えぇ、お得意様ですよ
事務員さん2:へぇ(ニヤニヤ)
ぼく:・・・(なんか嫌な予感がする)・・・・
事務員さん3:そばに女とかいませんか
花屋さん:あぁ、前にありましたね。一緒に選ばれてて
ぼく:妹と、家に飾るやつを・・・
事務員さん1:古典的だけどね、やっぱり女はうれしいから、お花もらうと
事務員さん2:そうね、その辺やっぱり女の扱いうまいんだろうね
事務員さん3:男前が外車乗って花束っていったら、ねぇ?
ぼく:妹と、家に飾るやつをね
事務員さん1:このエロ王子め
ぼく以外の一同:あはははは
ぼく:・・・・(ー_ー)・・・・



ぼくはただ妹と家に飾る花を買っただけなのだ。
ほんとに!












行くあてもなく、ただ座して

運転は好きだけれど、タクシーに乗るのも嫌いではない。
電車やバスと違って目的地までちゃんと連れて行ってくれるし、
用事が済むまで待っててもらうことだってできるから。
普段はぼくが自分で運転して隣に秘書を乗せて出歩くけれど、
きょうは一日タクシーで行ったり来たりしていた。
スケジュールの都合で外出を今日にまとめたにすぎないのだけれど。

車中にて。
渋滞の中、窓の外をぼんやりとみていた。
窓の向こうをただぼんやりと、空が藍色になりかけていく頃だった。
こんなに夕方をゆっくりと眺めるのは随分久しぶりな感じがして、
処暑をすぎたとはいえ、残暑というにはまだ図々しいほどの暑さの風に街路樹の葉が揺れる。
ただ白くて表情がないだけなのだけれど、いつも涼しそうな顔してると言われることが多い。
なんとなく、冷たい人だと言われているような気もして、あまり良い心持にはならない。
そんな顔を秘書はうらやましいと言う。ぼくにはさっぱり意味がわからない。
冷たい印象を与える顔なんて彫刻で十分ではないか。


ぼく:帰りにビールでも飲みに行きませんか
秘書:いいですねぇ!
ぼく:○○ってお店、知ってる?
秘書:いえ。何屋さんです?
ぼく:エジプト料理のお店です
秘書:わぁ( ̄▽ ̄)


人に喜んでもらえることは掛け値なしにうれしいことだと、
食事の間中そんなことを考えていた。
ぼくはなんだか疲れているのかもしれない。






エイミーにはビリーホリデイの影があった




smorzando

「人の心の中で生きていけるにしても、やっぱり寿命ってあると思うの。」

病床の恋人が息を引き取る1か月くらい前にそんなことを言っていた。
「そうかもな」と、つぶやくように返事をしてぼくは
目を合わせることもなく病室でりんごの皮を剥いていた。

「そんなことがあってたまるか」

心の中ではそう思った。
でも当時、強がることは返って寂しさを助長するだけだったから、
特に自虐的なことについては同意するのがぼくらのルールだった。



真夏日の休日に、名前の知らない鳥が飛ぶ。
昼間に買ってきた花束が目の前のテーブルにあって、
飲みかけのクローネンブルクの瓶が水滴を垂らす。
CDは古いファンクを流し続けて、午後からはずっとアルコールに浸っている感じ。
もうすぐ妹や姪が帰ってくる。
空になったビール瓶の数を見たらきっと妹は怒るだろう。
言い合う気もないけれど、姪はどんな気持ちになるだろう。
妹と一緒になってぼくを叱るくらいならいいけれど、
きっとそばでにこにこしながら、慰めるようにぼくの手を握っているような子だから
ぼくはちょっと心配になる。


「そうかもな」と言ったことは後悔はしていない。
でもあの日からずっと、時折死にそうになるくらいに胸の中が狭くなることがあるのはなぜだろう。











just like your smile

海辺のベンチに座って、白い砂浜であそぶ姪を眺める夢を見た。
そうか、世間は夏休みの話題もちらほら出始める時期なのだ。
休みをとってハワイにでも行こうと言ったら妹はどんな顔をするだろう。
バリやモルディブが良いならそれでも良いのだ。

よし、お盆は常夏リゾート(やや死語)を満喫しよう。
でも妹にすでに予定が立ってると言われたらどうしよう。。。




↓大した思い入れもないのになんだかものすごく懐かしい不思議な感じ。







moment

先日、事務員さんたちが幽霊の話をしていた。
実家の近くで「出る」ところがあったとか、学校の七不思議とか、
なんだか夏らしい話題だなと思った。
ぼくは霊感とは無縁なので、「出る」と評判のところに行っても
ほかの誰かが見たような気がするとっていもまったく何も気づいたことすらないくらいなので、
とりあえず不思議だと思った体験の話をした。

15歳の時、いくつかバイトを掛け持ちするうちのひとつがガソリンスタンドの夜勤のバイトだった。
冬になる頃だったとおもうけれど、朝6時ごろアパートに帰るときに
毎日同じ女性を見ることがあった。
電柱の前に立っていて、寒い時期だというのに薄着でスラッとしたショートボブくらいの髪の人だった。
誰かを待っている風に見えたけれど、いつも手持ち無沙汰みたいに少しうつむいて立っていて、
でもぼくはその人の顔をしっかりと見ることも無ければ話しかけることも無く、
ただ、きれいな人だなとか、明日もすれ違えるかなとか、そんなことを考える程度だった。
当時、何かにつけぼくの世話を焼いてくれていた人がおり、
その人がぼくの部屋に来たときに話をしたことがあった。

「(新聞の)販売所の前の電柱、なくすんだって」

朝方にあの女性を見る電柱のことだった。
聞けばその場所で事故があり、車に乗っていた人が亡くなったのだそうだ。
確かに電柱も少し傾いた感じだったし、「へぇ」位にしか思わなかった。
しかし。

「出るんだって。夜中に血流してる女の人が。この辺の人たち、結構見てるって」


気にもならなかった。
ぼくは作ってもらったごはんを食べていた。


「薄い緑のワンピみたいなの来てて、茶髪で、頭から血だしてこっち見てるって」


あれ、と思った。
血こそ出していないけれど、同じような服装の人なら見るぞ、と思った。
でも黙っていた。
ぼくは相槌もそこそこに、ごはんを食べ続け、
部屋の中で洗濯物を干したり掃除をしてくれるその人をぼんやり眺めたりしていた。

亡くなった方の身内の方かもしれないと思った。
でも時間が経つにつれ、ぼくはその幽霊を見たのではないかと思うようになった。
でもあんなにはっきりとしていて、しかも他の人がみた様子とだいぶ違うし、
顔はなんどかは見たけれど普通に綺麗な顔立ちだったし、
熱を出してフラフラしていたときなんかは電柱から少しよけてぼくに道を空けてくれた。
そんなやさしい幽霊が血まみれで人を脅かしたりするもんか。
でもその話をしたそところ事務員さん達は一様に、「それ、お化けよ」と言い出した。

事務員さん1:間違いないって
事務員さん2:絶対そうだって
一同:うんうんうん
ぼく:普通でしたよ、見た目
事務員さん1:やっぱりそこはさ、男前が通るわけだし、お化けもお色直ししたんだよ
秘書:間違いないですね。男前の前ですから
事務員さん2:だって王子様だもの
一同:うんうんうん ←しかも半笑い
事務員さん1:でもなんだってそんな歳から一人で暮らしてるの?その世話焼きと常務の関係は?
一同:うんうんうん ←この辺は真顔


やっぱりそうだったんだろうか。
まぁ、今となってはどうでも良い話。









上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。